優柔不断な 某内閣の支持率が 下がっているらしい。 当たり前。 先延ばしばかりじゃね。
ところで 決断って人は生まれてからずっと 決断の連続。赤ちゃんは どのおもちゃで あそぼうか 決断する。 小学校に行くのに どの道を歩くか決断する。
考えるに 決断力なんて 誰もが 当たり前に持っているものなのだ。
そこに能力の高低はない。 それでは 何故決断が 出来ない事があるのだろうか?
簡単わかりやすくがモットーのここでは 言いきる。 責任をとりたくないだけなのだ。どのおもちゃで あそぼうか 小学校に行くのに どの道を歩くか これには責任は あまりない。
責任があまりないことは 簡単に決められる。
良く言う、「難しい決断」とか 「苦汁の決断」は どっちを選んでも 難題が 残る。
大失敗すれば 「あいつバカだよ」とか 「お前のせいで・・」とか 後ろ指を指される。
しかし もうひとつの方を 選んでも 苦難の連続で やはり醜態をさらすかも知れない。
だから 決めることが 怖いだけだ。 しかしそれでは 指導者は務まらぬ。
何があっても 決めるときは決める。 そしてその結果を自らの責任として受け止める
だから 一国の指導者は 度量のない者、器が小さい奴は なってはいけない。本人もつらいし 国民だってたまったものではない。
何かを決め、そして 難題に対して 智慧を使って 乗り越えていく。
これが本来の あり方なのでは ないだろうか。
万が一正しい事を選び、正しい対処をしたとしても 非難を浴びることだって あるだろう。
決断を下さないのは 非難されるのがいやな わがまま 坊やの証明であろう。だが 本当に正しければ 後になって 評価される。 これは よくあることだ。
先延ばしをすればするほど、事態が悪化するのは 多い。
ある 科学者が 詩人かと 見間違えるような セリフを 言った。
指導者を している人、これから 指導者になる人に この言葉を 送りたい。「あなたは 歴史の 法廷に 立つ覚悟が あるのか」
スポンサーサイト
いつも思うのですが、トキオさんって博識ですね。
記事、とても勉強になります。
>「あなたは 歴史の 法廷に 立つ覚悟が あるのか」
鳩山総理にこの言葉をそのまま贈りたい。
これからもブログの更新楽しみにしています。
もちろん ぽっぽに向けた言葉ですよ、当然。
また更新 頑張ります。こうご期待。